「ホットスポットで暮らす」学習会開催

2月18日に、「放射能からこどもを守ろう関東ネット」や「関東子ども健康調査支援基金」のメンバーである柳沢典子さんを講師に、「放射能ホットスポットで暮らす」と題して学習会を行いました。

柳沢さんは現在日野市在住ですが、福島原発事故当時は千葉県柏市に住んでいました。放射能プルームが降り注ぎ、後に公園などから高レベルの放射能が検出された、いわゆるホットスポットの地域です。
チェルノブイリの事故当時に、汚染された野菜を子どもに食べさせてしまった経験から、放射能問題に取り組んできたそうです。

2011年3月15日午前9時15分から、柳沢さんの放射能検知器が鳴り響きました。40~300カウント。0.4~1.6?マイクロシーベルト(通常は20カウント、0.03マイクロシーベルト程度)17日から音は止み、21日に再び鳴り響きます。それは雨に含まれて放射能が降り注いだためです。それとは知らずに雨の中を歩き、鼻血を出した男性がいます。刺激によって鼻血が出るそうです。日野市からの移動教室で日光(やはりホットスポット)へ行った子どもたちにも、鼻血を出した子がたくさんいたようです。

日野・生活者ネットワークの調査で、日野市内の雨どいの下は0.2マイクロシーベルト/hと、除染が必要なレベルでした。
国は原子力緊急事態宣言をして、国民の年間の被爆限度量を1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに引き上げました。この緊急事態宣言は未だに解かれず逆にそれを利用して甘い基準のままです。
柳沢さんは食品の測定や汚染土の除去、給食食材や体育の授業での配慮など、思いつく限りを市に請願しました。しかし市の対応は鈍く、市民は普通の生活をし、マスコミも味方してくれません。

そんな中、子どもたちの安全を自分達で作りだす為に除染をしよう、という市民たちが現れます。これには市も動き出します。測定器を購入して貸し出すだけでなく、ノウハウを共有し協働して除染作業に取り組みます。柳沢さんも除染に加わりますが、その後甲状腺機能障害を発病し転居しました。

このグループはその後解散し、残ったのは焼却炉の周りに保管された行き場のない高濃度汚染の焼却灰です。除染された土はその場に埋められただけ、移動させただけなのです。
福島の子どもたちの健康調査は国によって行われていますが、関東の子どもたちの検診は行なわれていません。国が動いてくれない中、関東の母親たちがつながり、市民や医師のボランティアによって子どもたちの甲状腺スクリーニング健診を始めています。
茨城県の常総生協が呼びかけて、茨城県から千葉北西部の1000か所で組合員や協力の市民が集めた土を測定しました。平均1㎡辺り4万ベクレルと、放射線管理区域以上の値です。

国が動いてくれない中、市民の力が結集したのです。甲状腺がんやその恐れのある子どもが福島県内で183人、そして関東にも見つかりはじめています。国は因果関係を否定し続けることが難しくなっています。距離があっても日本中どこでも放射能被災地になり得ます。

私たちに今出来る事はなんでしょうか?
子どもの健康調査や保養・疎開キャンプの活動を支援すること、また自然エネルギーの電力会社と契約することなど、出来ることから始めてみませんか?