福島原発事故に思う

私たちが考えなければいけないこと

今回の大震災では、地震・津波による被害の他に原発事故が加わり、日本の原子力安全神話が崩れる事態となりました。今まで原発事故に関して巨大地震による危険性についての指摘はありましたが、今回のような大津波よる全電源喪失を指摘する声は聞かなかったと思います。そういう意味では、正に想定外の事態であったのかも知れません。
しかし国、東電、原子力安全委員会は口をそろえて日本の原発は安全であると言い続けてきたのです。チェルノブイリのような事故は日本では起こらないと決めていました。原発の安全性をアピールすることが、原子力安全委員会の主な仕事となっていました。安全だからという理由で、大事故に対する対策を怠ってきました。
そして二酸化炭素を排出しないクリーンなエネルギーとして、更に原発を推進しようとしていました。しかし今回の事故で思い知らされたように、原子力は決して地球にやさしいクリーンなエネルギーではありません。例え事故が起こらなくても通常の運転で微量の放射能が海に排出されていますし、高レベルの放射性廃棄物は青森県六ケ所村の一時保管プールが満杯となっています。

また今回の原発事故では、都市と地方の関係性の問題も浮き彫りにしました。東京の電気が福島から送られていたことを初めて知った人は多いのではないでしょうか?福島の人の電気は福島の原発からではなく、東北電力から供給されています。避難している福島の人たちから、「何で東京の電気のために私たちが犠牲になるのだ?」と言う声が多く聞かれました。「原発は東京に持って行って欲しい」という声もありました。その上心無い差別にまで会い、福島の方々の悲痛な思いが東京に住む私たちにぶつけられています。
私たちにできることは原発が無くても生活してけるように、自然エネルギーの推進を働きかけ、電気に頼らない暮らしを提案していくことだと思います。都市の繁栄のために地方が犠牲になっているのは原発だけではありません。ダムやごみ処分場、産業廃棄物処分場など地方の犠牲の上に私たち都市住民の暮らしが成り立っています。食べ物の地産・地消のように、エネルギーやごみ処理も地域で供給・処理することを原則にすべきだと思います。今回の震災で日本の国のあり方を、私たちの暮らしのあり方を変えていくことを迫られていると思います。私たちでできることを精一杯やっていこうと思います。
                      (出沼恵美子)